【ネタバレ有】シン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきました
とても記事を書くのは久しぶりですね。お茶汲みです。
先日、前作より8年の時を経て満を持して完結した、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見てきました。
見てきての感想を…とは思うのですが、やはりエヴァンゲリオン。一筋縄ではいきません。
タイトルに「ネタバレ有」と記載しましたが、広く行われているような深い考察もできず、ただ単に感じたこと/思ったことなど、自分が外部に放出したくなったことを書き連ねてみます。うまくできるかな…
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さて。一応行を開けてみました。
最終作を映画館に見に行く前、さすがに「Q」から8年たっていていろいろ不安になったので、Amazon prime videoで、「序」「破」「Q」を復習してから映画館に臨みました。
一応、本編放映前に(おそらく)以前庵野監督が作成し、現在YouTubeで見ることもできる「
が。
正直、これを見たとはいえ、わからないものはわからないです笑
それこそエヴァンゲリオンらしいといえばらしいので、個人的には「1回見ただけで理解できなかった。さすが庵野だ。きっといつまでも理解できないに違いない」と感じました。
さて。
本編冒頭はマリが口ずさむ音とともに、謎のモノリス物体の上にWILLEのメンバーが降り立つところから始まります。この時点で謎だらけなんですよね。防護スーツに身を包んでいるあたりは、「前作最後のシーンで起こした"フォース"の影響なんだろうな」と推察できるのですが、モノリスが謎すぎて。
「よくわからんぞ…」と思いながら見ていると、復旧作業をしているメンバーから出てくる「無茶です!」の数々。それを伊吹マヤさんが「やらなきゃいけないからやれ」のように叱るシーンはやはり興味深かったですね。14年の時間で、マヤさんも"言う側"から"言われる側"になったのだなぁと。
前作とほぼ時間が地続きとなっている中、シンジたちエヴァンゲリオンパイロットたちは、とある村にたどり着きます。
旧第三新東京市に居住していた(と思われる)人たちを中心とした生き残りの集落、「第三村」。そこには、かつてのシンジの同級生たちが数人、生活していました。
「Q」の時、シンジが来ていたワイシャツのうちの1枚に、"鈴原"と刺繍が入っていたものがありましたよね?あのシーン、「もう彼らはいない」という表現として使われていると自分は感じていて、「もうシンジの友人は誰も残っていない*1」というシンジの孤独感の表現だと思っていました。
そう思っていただけに、トウジ、ケンスケ、ヒカリの3人が再登場したことはうれしかったですね。しかもちゃっかり、トウジとヒカリは結婚してますし。わかってたけれども。彼ら3人は、シンジにとって「前と変わらない存在」として映ったはずです。もちろん、14年の時間ギャップがあるので精神面では大きく変わってはいるはずですが、彼らは変わらずシンジに接してくれます。この第三村での経験から、シンジは立ち直り、また、一つの別れを迎えて、父と対峙する決心を持てたのだと思います。
最終決戦で出てきたたくさんのキーワードについては、正直その分野専門の考察部隊でないと初見での理解は無理だと思います。そのあたりの内容については、得意な方々にお任せしたいと思います。
個人的には、「結局真希波・マリ・イラストリアスの正体は?」が一番気になってますね。誰か教えてください。
発言や、様々なシーンで出てきた回想を基に考えると、「碇ゲンドウとユイを引き合わせた人物でもあり、同じ研究室で過ごしたメンバーで、エヴァの呪いに最初にかかった少女*2」のようになる気がするのですが。何のこんちゃ。
序で、戸惑いの中から大切なものを見つけ。
破で、大切なものを奪われ。
Qで、守ったと思ったのに迫害され。
等身大の14歳の中学生としては非常に厳しい現実を突きつけられてきたシンジが、最終作で大きく成長することができたのではないのでしょうか。
最後のシーン。大人になったシンジ*3とマリが登場しました。
どのように世界が新しく作られたのか。
どんな”新世紀"となったのか。
少なくとも、二人が10年弱、平和に、エヴァンゲリオンに乗ることもなく、呪縛から解放された世界であるに違いありません。
彼女たちも新たな世界で生き続けているのでしょうか。
そして、、、
さようなら、全てのエヴァンゲリオン